【移住者インタビュー】メイドイン中土佐のカツオが繋げてくれた、全てが冒険になる暮らし

プロフィール

・氏名 村瀬万咲
・移住した年 2025年
・出身地(県) 愛知県
・世代(例:20代) 20代
・現在の職業 地域おこし協力隊※(一社)なかとさ観光協会にて勤務
・移住前の職業 自動車部品会社の社内SE
・現在の居住地域 上ノ加江

 

「以前は、3カ月先の旅のために今を踏ん張る、みたいな生活でした。でも今は、どんな1日でもすぐ近くに楽しみや新しい発見がある。それが心地いいです。」
今年4月から中土佐町の地域おこし協力隊として活動する村瀬万咲さん。外に広がる世界を追いかけて旅を続けてきた彼女がたどり着いたのは、海辺の漁師町だった。現在は、中土佐町の観光協会に所属し、観光案内やメディア対応を担当している。

「海外からの観光客がたくさんいるこの場所で、カツオを起点に、色々な人と繋がることができるのでワクワクします。」

村瀬さんが学生時代から夢中になってきたのは「旅」だった。異国をバックパックひとつで巡る中で、心に刻まれた風景が、自分の感性を形づくっていった。
ニュージーランドでは、自給自足の食事をともにした時間。フィンランドでは、バックパックを背負って世界を旅する70歳のおばあちゃんとの出会い。ウズベキスタンの列車の窓からは、岩山に点在する家々や、洗濯物を干すおじいちゃん、放牧される牛の姿が流れていった。
どんなに遠くの国でも、暮らしは淡々と営まれている——その実感は強く残った。けれど当時は、旅で得た実感を、自分の仕事や暮らしを通してどう形にすればいいのか、まだわからなかった。

大学卒業後は、地元・愛知の自動車部品会社に就職。システムエンジニアとして3年間、パソコンに向き合う日々を過ごした。技術は身についた一方で、同じ作業の繰り返しに次第に退屈さを覚えるようになった。
そんな折、なかとさ観光協会の求人を見つけた。決意を後押ししたのは、海外での経験だ。旅先で出会った外国人が、嬉野温泉(佐賀)のことを知っていた。それ以降、日本人としてのアイデンティティや地方の価値に目が向きはじめたのだった。
移住して半年だが、彼女の生活はすでに町の風景に溶け込んでいる。毎朝、早起きして海の堤防まで散歩し、自宅の庭では野菜を育てる。いつもお世話になっているお隣さんに誘われて、山菜採りやアジ釣りに出かけることもしばしば。

「前職時代は、仕事だけしている自分が嫌で。休みを見つけては旅に出たり、本を読むために、車を山まで走らせることも。今考えたらプライベートを充実させるのに必死でした。ここでは、頑張らなくても、楽しみがすぐそばにある。釣りひとつとっても、知らない世界が広がっていて面白いです。」
軽やかに、流れるように生きるバックパッカーの冒険がどこへ続いていくのか。旅の終点がこの町かもしれないし、はたまたアフリカの砂漠かもしれない。それでもいま、この小さな町での日常こそが、彼女にとって「世界を広げる場所」となっている。ここで出会う人々の智慧(ちえ)も、優しさも、たくましさも、そのすべてを吸収しながら。

 

インタビュー&写真&文章 鈴木弥也子